【ハ】パリは霧にぬれて(私的埋蔵文化財)

 分類「は」のところを見て、これはやばいなと思った。今までで一番多いか? と思うほどのパンフレットの数。玉石混交かとは思ったが、それでもあの時期、自分が選んで観た作品たち。やはり一つに絞れるものではなかった。パラパラ見ているだけで、記憶が噴出してくるものの山だった。そんなわけで、いくつか「は」を続けることになりそうな気配だ。

 まずは、「パリは霧にぬれて」。1972年に観たのだと思う。50年前、花のパリは行けないところではなかった(ここ、吉田拓郎と中島みゆき、「永遠の嘘をついてくれ」を連想してもらえると嬉しい)が、遠くの都。芸術家を目指す者たちが、必死の思いでたどり着いて、何とか芽を出したいと祈る街のイメージだったが、当時25歳の私の胸に引っかかってくるものはなかった(同じ頃、同い歳の沢木耕太郎さんは「深夜特急」の旅に出た)。

 ところが映画の冒頭シーン、サンマルタン運河を船で行くフェイ・ダナウェイに持っていかれてしまった。ルネ・クレマン監督はこういうミステリアスな空気を醸し出すのが得意な監督(「太陽がいっぱい」の監督だ)だが、それにしてもこの水辺の空気は魅力的だった。それが思いがけず記憶の淵に深く沈んで留まったようだ。

 私が公務員を50歳で退職したとき、まだまだ子育て現役の身には、自由業になった気楽さを満喫するゆとりはなかった。70歳で大学教員を退職になった2018年の春。本当にたっぷりな時間が取れた休暇に一人でパリに行った。モンマルトルの安宿に14連泊し、街を散策した。その目的地に浮上してきたのがサンマルタン運河だった。

 期待にたがわぬ水辺の地区は、映像で観たくすんだ運河街ではなく、緑豊かに整備された、それでも古くからの水門が今もゆっくり作動する、いい感じの街だった。マニアックな書店やおしゃれなカフェ、北ホテル(貧しい人向けの安宿)などが散在していた。

 運河をはじめ水辺の人工物がことのほか好きなのは、琵琶湖疎水の水門側で育ったせいだろう。祖父がその運河の船頭として明治時代に働いていたことはきっと影響しているに違いない。

 そしてもうひとつ、フェイ・ダナウェイである。女優に格別な思いを持つことはほとんどなかったのに、彼女だけは別だった。「俺たちに明日はない」「華麗なる賭け」「コンドル」「ネットワーク」「チャイナタウン」「小さな巨人」etc.。出演作品はたいてい観た。とにかくかっこいいなぁとため息をついていた。中でも、スティーヴ・マックイーンと共演した「華麗なる賭け」での姿にはほれぼれした。

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