【欲望の由来】(仕事場D・A・N通信vol.9)

 何かを欲しいと思ったとき、世間からすり込まれた消費の匂いを感じ過ぎると冷める。純粋に好きとか、全て自分由来の欲望などというものがあるとは思っていない。しかし次々と何かが欲しくなることについては、いつの頃からか疑問を持ち続けてきた。当然、年齢とともにその質は変化してきたが、基本の枠組みは変わっていない。

 最初は車や家などの大きなローンを組むことへの疑念だった。手に入れることで自分が拡大し、何か大きなことをなしている気がしてしまうことを疑った。引き換えに差し出している未来時間の大きさに、用心深くなった。だから大きなローンは組まないと決めた。

 すると当然のように欲望のサイズが身の丈に近づいてきた。手持ちの現金でまかなえる範囲の消費で生きてきて、ことさら不便はなかった。

 無論、世の中全体が貧しい時代に育った団塊世代だから、そこからの脱出は共通の夢だった。しかしそれをどんどん加速させていくことには納得していなかった。

 そこから始まったのが、「私は何を欲しがっているのか」、「なぜそれを欲しいと思うのか」、という問いだった。これは私の行動選択に多大な影響を及ぼした。

 いろいろ考える事はあったのだが、その結果手に入ったのは自由だったと思っている。五十歳で自分の人生の大きな転機になった公務員退職、フリーランスへの転身を実現できたのは、この自由さに負うところが大きかった。

 あれから二十三年、公務員生活の二十五年とはガラッと違う人生を歩むことができた。どちらが良くて、どちらが悪いなどという事はない。それまでの選択のしがらみで、その後の時間を生きなければならないようなことが起きなかったという話だ。ここに横たわっているのが、自分の欲望の由来に関する問題意識だ。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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