【孤塁】(仕事場D・A・N通信vol.10)

「孤塁」吉田千亜 著

 

 東日本大震災・津波被災地に通うようになって10年。福島原発事故のその後は、他の津波被災地の復興度合いと対比的に見続けてきた。その間、チャンスがあって出かけたウクライナ・チェルノブイリ原発事故現場は、首都キエフから車で三時間足らずのところにある。事故現場から30キロ圏内の広大な大地は、35年経った今も立ち入り制限区域のまま、ゲートで管理されていた。

 キエフには国立チェルノブイリ博物館があり、当時の様子がかなり膨大に見聞きできるようになっている(日本語のオーディオガイドも聴き切るのが疲れるほど充実していた)。その中でも印象的だったのは、事故後の対応に動員された消防士達と家族の物語だ。当時、ソヴィエト連邦だった時代、原発事故など国の恥だと公表は抑え、事故原因も個人のミスだと片付けたがる政治力学が暗躍する。

 原子力発電所の火災事故に非番の消防士も呼び出され、どのような状態の現場かも知らされないまま、懸命の消火活動に従事した。そして多くの消防士が亡くなり、遺体は放射能汚染物質として家族にも戻されない結果になる。

 このような経過が今、明らかにされているのは、ソ連が崩壊し、チェルノブイリ原発はウクライナ共和国の所管する存在になったからだ。そんな1986年の消防士の受難を、福島の消防士達も同職の仲間に起きた出来事として濃淡はあれ知っていた。そして25年後、双葉郡の消防士として原発事故と遭遇する。救助を待つ人が居たら出向く。自分の安全のことに気持ちが持って行かれるなんて考えられないと彼らは語る。

 しかし、しかしである。出動メンバーに選ばれた者は帰れないだろうと思い、選ばれなかったものは申し訳なく思う。「家族に愛していると伝えてくれ」と仲間に言い置いて出動してゆく。

「こんな状況を国は知っているのだろうか?」

「この活動が県や国の記録にキチンと残されるのだろうか……」

 渦中でそう思いながら現場に向かっていった人々の記録だ。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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