【父を迎えに】(仕事場D・A・N通信vol.49)

「雨・・・、迎えに行ったのに」の漫画の台詞から、長い間思い出したこともなかった情景が蘇った。六十五年以上も前、私が小学校3、4年生になった頃からのことだ。夕刻、雨が降り出すと、「お父さん、駅まで迎えに行ってきて」と母に言いつけられた。それまでは母も一緒に雨の中を出かけ、駅で父の降りてくるのを待っていた。

 東海道線が全線電化されたのは昭和31年(1956年)、私が9歳の時だから、父の大阪への通勤が、SLの長時間通勤から変化していく頃だ。

 大人の傘を小脇に、子供用の傘に長靴姿で、家から15分くらいの国鉄大津駅に向かった。

 改札口付近で出てくる父を、一列車くらいやり過ごして待ったこともあった。

「おぉ、士郎、来てくれたんか」と傘を受け取った父と、暗くなってきた雨の道を戻った。

 まだ折りたたみ傘は普及していなかった。爆発的なヒットになる植木等の「何である、アイデアル、常識!」は、折りたたみ傘のテレビCMで、これがきっかけで傘が爆発的に売れた。そしてマイカーの普及と共に、お迎えに傘は不要の時代になった。

 他にも父を迎えに行ったのはパチンコ屋。日曜の夕刻、「そろそろ夕飯だから、戻ってくださいと知らせに行っておいで」と送り出された。混雑した店内をウロウロして見つけて知らせると、玉を数個くれた。近くの台で弾いてみるのだが、そう都合良く幸運は訪れなかった。まだ一個一個玉を入れて弾くパチンコ台の時代だった。

 近年のことだ。仕事で行った地方のローカル線の駅前で、私を迎えに来てくれる人を待っていた。その間、夕方の駅前ロータリーには高校生を迎えに来た親の車が次々にやってきて、ピックアップして去って行った。様子からすると、これが親子の毎日のことなのだろう。

 だからどうというものでもないが、私が傘を片手に雨の中を迎えに行ったことで内面化した親子関係と、毎日送迎して貰う子ども達が経験している親子関係は異なるのだろうなぁと思った。それがなんなのか、知っているわけではないが。

画像出典:「歩くひと」谷口ジロー作 第5話から


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