【チ】チャイナ・シンドローム(私的埋蔵文化財)
原子力発電所で起きる事故。その影響の大きさに気づいた者ほど、大したことではないと発表したがる。アメリカ・スリーマイル島の原発事故がこの映画公開の半月後だったなんて、全く記憶になかった。
それというのも、私はこの映画をあまり面白いと思えなかったからだ。米国では結果として予言的な映画として大きな話題になったらしい。なにかにつけてアメリカ好きだった時代の日本で、この余波を世の中が受け止めた記憶がないのは、「日本の原発は絶対安全」と国策プロパガンダに多くの国民が納得していたからなのだろう。
冷静に考えれば、絶対なんてものはないというのは、誰にでもいえる教訓のひとつだ。なのにそうなってしまうのは、白黒つけることが科学的、合理的だと思う教育を受け続けてきたからだろう。〇×教育とはそういうことだ。現実の適切解答は「何とも言えない」である。
どちらかが正しくて、どちらかは間違い。誰は正義で誰は悪。西側が正しくて、東側(なんてものは今、ありはしない)が悪い。こんな認識でぼんやりしているのが一番危険で、だまされやすいのは、歴史を振り返る力が少しでもあればわかることだ。
日本の原発が自然災害にあっけなく水蒸気爆発を起こしてしまって11年余。後片付けもままならないまま、今に至っている。それを「想定外の事態!」などと繰り返すのは愚かしい台詞だ。その想定に立って対策できて、予防できるのが専門家というものだろう。
私は原子力関連には興味が持てない文科系の頭の人間だから、それまで知識を蓄えようとしたこともなかった。ところが巡り合わせで福島に10年以上通い続けることになり、2019年にはウクライナ・チェルノブイリ原子力発電所事故発生現場まで訪問することになった。
現在も相変わらず「原子力」そのものに興味は薄いのだが、その被災から、未来に向かわざるを得ない住民の人生には関心が向かざるを得ない。
最初に述べたように、人は起こしてしまったミスを隠蔽したくなってしまうものだ。「嘘はいけない!」と叫ぶのが有効だと思う者はそう考えていればいいが、私はたわごとだと思う。だから予防なのだ。そしてある程度を超えたリスク回避のためには、それに手を出さないことだ。
「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」はそういう標語だ。交通事故が無くせるわけではないが、自分の飲酒事故は無くせる。人生を飲酒運転と引き換えにしてしまいたい人などいないだろう。だったら、しなくていいことは止めておけ。
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