【ワ】(最終回)若者のすべて(私的埋蔵文化財)

 監督ルキノ・ヴィスコンティはイタリア映画の巨匠。「ベニスに死す」、「ルードウィヒ」、「家族の肖像」など観た。絶賛の声は耳にしたが、密かによくわからんと思っていた。そして、分かったふりの業界人メ!などとも思っていた。無論、そんなことを表明する気はなく、そことは距離を置くだけだ。

「若者のすべて」はTV放映のものを観たのだと思う。それなりに面白かった記憶があるが、格別の一本だったわけではない。

 30代の頃、身近にクラシック音楽好きやオペラ好きがいたが、私は全くそこに関心が向かなかった。別の彼とは映画好きで共通するのだが、ベルイマンやヴィスコンティなど巨匠を絶賛するのに疑問があった。ホントに分かっているのか?そんなことを言うのが好きなだけじゃないの?と思っていた。

 私は根っからのサブカルチャー体質で、音楽も映画も本も、ことごとく本格物、古典に関心が向かわない。だから多量の読書にしても教養などと感じるところがない。ただただ娯楽、アンチとか反権威などという気持ちも大してなく、ただ好みの問題だ。

 しかし本格が世間で占めているポジションにはいささか抵抗感があって、それは趣味だけではなく、仕事上の立場の取り方にも影響している。基本とか、王道と呼ばれるものとの距離の取り方や、学びの偏りは筋金入りかと我ながら呆れる。

 あらゆることについて好き、嫌い以外の選択基準を設けないのは、かなりなわがままだろう。そのため、オーソドックスな学びや、資格取得などにも近づかない。遠回りになって、結局辿り着くところは似たものだと言われても、そちらを採らないで生きてきた。

 この連載においても、「映画パンフレット」をネタに勝手な話を延々書いてきた。映画ファン、マニアの集いに入れば、さっそく知識・情報の偏りと少なさはバレてしまうだろう。そんなことを求めていないのだから平気なのだが。

 とにかく面白いと思うことにだけ関心を向けて語っている。正しいことを開陳したいと思っているわけではないので、それでいいのだ。こういう体質が何に起因するものなのか、今振り返っても心当たりはない。一貫してきたのは、標準とか基礎を自分の中に取り込むことへの抵抗だったろう。

「それでは損をするだろう?」の自覚があっても、それで届くまでのところで諦める。その覚悟は出来ているのだと思う。

 流行に振り回され、他人口に合わせながら、網羅的に情報を仕入れておきたいと思う気持ちは、用心深い弱さで、無目的な安心だけしか届けてくれないと思っている。


***おわりに***

以上で毎週連載の第二シリーズが終了です。この後どうするか、しばし考えたいと思っています。2024年に完成させたい本の製作に力を入れることにしたら、連載はしばらくお休みになります。でも、五月雨式に並行させたい気持ちもあって、今のところ未定です。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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