【親の死に目】(仕事場D・A・N通信vol.28)

 急遽手に入った席が、劇場中央のアルゼンチン大使夫妻の真後ろだったのには驚いた。劇団四季東京公演「エビータ」を観ることになっていた。この時、我々には観劇以外の別の使命があった。それは舞台出演中の娘に、お祖父ちゃんが亡くなって、お葬式も済ませたことを知らせることだった。

 二所帯住宅の同居も長かった私の両親の死は、高齢者ならば必然だった。一方、舞台役者をしている者は、親の死に目にも会えないという言葉は聞いたことがあった。実際、身内に不幸があったとしても、役で舞台に上がっていれば、そこを抜け出すわけにはいかないのだと思った。

 だから私の父親(娘の祖父)の死亡と、娘の舞台の初日が重なったとき、知らせない選択をした。葬儀を済ませ、舞台が順調に運び始めた頃、ロングラン公演の観劇を理由に上京して伝えることにしたのだ。

 「エビータ」の舞台、幕開け早々には驚いた。プロローグは葬儀の場面なのだ。娘は参列者の一員として、エビータ・ペロンの死を嘆き悲しんでいた。祖父の亡くなった同時期、毎日舞台で告別式に出ていたのだ。その夜、食事をしながら祖父の死を伝えた。

 2020年のG.W.あけ、妻の癌が発覚した。ステージ4の診断は厳しく、ひょっとしたらと思わせてくれる間もなく、急ぎ足で8月には亡くなってしまった。

 娘はもう舞台には出ていなかった。しかしコロナ禍の下、38歳で初めての妊娠確認の直後だった。われわれ夫婦で話し合って、見舞いには来させないことを決めた。流産を恐れたのだ。

 そして娘として母の臨終に立ち会うことより、自分が母親になる覚悟を選ばせようとした。母の死は運命だと受け入れ、誕生を危うくしない選択をさせたいと強く思った。その結果、またしても娘は近しい人の葬儀に立ち会えないことになった。

 そして2021年春、彼女は女児の母親になった。我が家的には命のバトンリレーが無事おこなわれたと思った。おそらく、幸不幸はこれくらいの案配が程々なのだろう。

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