【毎日が日曜日】(仕事場D・A・N通信vol.36)
城山三郎の小説に、毎日が日曜日というのがあった。読んだのかどうか、どんな内容だったのか、何も覚えていない。初めて目にしたのは勤め人時代だったが、毎日が日曜日という自由は、すぐに退屈してしまうのではないかと思った。
妻や子供たちがいる賑やかな暮らしをしていると、ずっと一人で生きることを選ぶ人生、いわゆるお一人様は考えられなかった。自分のことだけで完結してしまう人生は、なんだか心もとない気がしていた。
あれから四十年程もたって、今一人暮らしをしている。平日は勤務をして、週末が休みの生活スケジュールからも遠ざかって久しくなった。毎日何をするかを自分で決められる自由がある。それはその時一番したい事にためらいなく向かえるということだ。
様々なしがらみを抱えて暮らしている間には、それで手にすることができているモノの存在に思いを馳せて幸せだと思っていた。それが今、自由な一人暮らしとなって、今度はそこからの解放をとても気楽だと意味付けようとしている。私はどのような状況にあっても、現状肯定的なのだろう。「どうぞご勝手に!」と言いたい方も多分あろう。
しかし同世代で、様々な人たちに負担をかけたり、援助を求めたりしている人も少なくない。むろん、それは悪いことではないが、上手に気楽に人生の終末が整っていくのは悪くないと言っておきたい。
このところ、「週刊現代」「週刊ポスト」の新聞広告を見ると、高齢者が一人で残された暮らし方と、子ども世代との上手な付き合い方の特集の連発だ。この雑誌の読者層とテーマがピッタリくるからなのだろう。
でも、取り上げられるような状況に暮らして一年弱の経験から言って、そう大騒ぎするほどのことでもない。要するに、自立的に生きられるように今まで過ごしてきたかどうかなのだ。今からでも遅くないから、自分の事は自分で。
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