【ドクトル・ジバゴ】(仕事場D・A・N通信vol.38)

「あの本は読まれているか」は、小説「ドクトル・ジバゴ」をめぐる物語である。「ドクトル・ジバゴ」はソ連で発禁にされ、ノーベル文学賞も辞退へと追い込まれていく。そんな圧力が市民社会を覆っている東側世界に対し、西側アメリカの女性CIA職員による、文学を介しての陽動・諜報活動をワクワクするような読み物にしたものだ。

 ボリス・パステルナーク著「ドクトル・ジバゴ」とくれば、デビッド・リーン監督の70㎜超大作映画である。大阪OS劇場の大スクリーンで観て、日曜洋画劇場でも観た。VHSテープも買ったし、DVDも買った。最近、スターチャンネルで放送したのをブルーレイに録画したものもある(画質が良い)。主人公ラーラのテーマ曲はずっと頭に残っていて繰り返される名曲だ。

「あの本は読まれているか」は女性の社会進出など、なかなか難しかった時代を背景に、勇敢に立ち向かっていく女性工作員。さらにタブーであった同性愛への厳しい抑圧の中、密かに抱え続けられる想い。それは一般的な男女の恋愛描写よりずっと結晶化されているように感じられる。

 人は皆、それぞれが属した時代を百年足らず生きて死ぬ。過去よりは今の方が差別や抑圧は改善されているだろう。しかし今も、同じような思いは人の胸の中にきっとあるだろう。どんな課題かは大きな事ではない。いつの時代にも人は、抑圧された思いをこころに、生きることがあるのではないか。そしてそれ故に結晶化されるものが残るとも言える。

 ふと思い出して「世界の車窓」からのこの号を取りだし再見してみた。広大なシベリアの大地を今も列車が疾走する。鉄路は主義主張を超えて様々なモノを運んできた。反革命分子としてシベリアへ送られた人々の乗った貨車。日本敗戦後、シベリア抑留で多くの日本兵達が連れて行かれた、名も知らぬ小さな街。アウシュヴィッツに送られたユダヤ人がたどり着いた線路の終点を訪れたこともある。

 映画には革命期の列車による往来場面が沢山描かれている。広大なシベリアの大地を革命の嵐が吹き荒れ、人々はそれに翻弄されて時を過ごす。きっと多くの人々の無念や喪失が重ねられたに違いない。

 そして今、ソヴィエト連邦は存在しない。そこでも又、膨大な喪失が人々の運命を左右したのだろう。しかしそれでもロシアの大地に人々は生きている。歴史を引き受けて生きながらえるとはそういうことなのだと、「あの本は読まれているか」を読みながら思った。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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