【アドリア海沿岸】(仕事場D・A・N通信vol.42)

 アドリア海を地図で見るとイタリア半島の右側。長靴のかかと側に入り込んだ内海である。一番奥にはヴェネチアがある。イタリアの対岸はほぼクロアチアで、昔、ユーゴスラヴィアと呼ばれ、チトーが率いる連邦国家があった。

 強力なリーダーの死後、独立、内戦が激化し、結果的にスロベニア、クロアチア、セルヴィア、ボスニア、マケドニア、モンテネグロなどに分裂してゆく。その過程で国際的には、民族浄化などとラベリングされもした悲惨な戦争が10年も続いた場所だ。

 内戦が収まって、まだあちこちに銃弾の痕や、爆撃されたままの建物も散在する時期に、クロアチア縦断15日間バスの旅をした。かなり珍しい企画で、不催行日程が多かった。たまたま催行されたツアー団体客12人中の二人として行けたのは幸運だった。添乗員がベテランで、旅の質にこだわっていたらしく、食事も各地のレストランやビール醸造所など趣向があった。

 妻はこの時、足小指骨折の回復中で杖をついていた。おかげで機内の座席も、移動中のバスでも、配慮して貰って喜んでいた。杖をついた妻であるから、私も親切にならざるを得ず、その結果、「優しい旦那さん」と記号のように呼ばれた。

 15日間という長いパッケージツアーで、各地での連泊や自由行動も多く、この頃にはもう二人だけで旅してきた経験も多かったが、これはこれで大いに楽しめた。杖をついているのを見て「どうしたんですか?」と話しかけられやすいこともあって、ツアー客皆さんとも大いに交流があった。

 首都ザグレブを豪華大型バスにたった12人で出発して、クロアチア最南端のドブロブニク(アニメ「紅の豚」の舞台)まで観光しながら向かう。そこに三連泊した後、Uターン北上してスロベニアのブレット湖まで。計1,000キロ以上の長距離バスの旅。

 大半の客は車中居眠りをしていることが多かった。しかし妻と私はずっと窓外のアドリア海を見ていた。島も多く、入り江や湾になった沿岸部は、静かで美しい海だった。それを眺めながら、他愛ない旅の思い出話をしたり、読書したりしていた。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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