【イラストレーター】(仕事場D・A・N通信vol.43)

 10代の終り頃、イラストレーターになりたいと思っていた。名前がかっこいいと思ったし、漫画家より簡単なような気がした。その関連でレタリングというものも通信教育を受けた。今ならいろんなフォント・書体がPCで引っ張り出せるが、当時はポスターでもチラシでも、大きな文字は手描きだった。書道ではなく、個性的な書き文字は魅力的だった。

 しかし当然のことだが、そんな目標は長続きするはずもなく、どれもこれも挫折した。若者全般にそうであるように、何をやっても続かなかった。

 一番長く続いたアルバイトは測量の手伝いなのだが、すっかり楽しくなって測量士の通信教育を申し込んだことがあった。送られてきた第一回目の教材に書いてあることがさっぱり分からなかった。

 結果的に続いたのが漫画を描くことで、主たる理由は早くから仕事を貰えたからだ。結核で在宅療養留年中に新聞社の仕事を頼まれ、それ以来ずっと途切れることなく原稿料をいただく漫画家として過ごしてきた。食べていけるとは思っていなかったが、恩師の世話(お節介)で心理職地方公務員になった。漫画と二足のわらじのように楽しんでいる内に、紆余曲折あって公務員を退職し、「木陰の物語」の作者になった。

 残念ながら、自分の描く絵が上手だとは思えない。だから味があるなどと言ってみるのだが、それもそんなにピンときていない。もし何か雰囲気が出ているとしたら、それは嬉しいことだし、そのラインでなら何か出来ていることがあるのかもしれない。

 先日観に出かけた京都dddギャラリーでの小島武氏のイラストレーション展は、1970年代頃からたくさん目にしてきた懐かしい絵がたくさんあった。

 イラストは印刷媒体に掲載されて完成だから、作品そのものに迫力があったり、完成度が漂うものではない。それは和田誠展でも同じ印象を持った。漫画家の原画展などでも似たことを思う。

 そう考えると近年、雑誌掲載サイズの「木陰の物語」をカラーにして、掛け軸やB全パネルサイズに拡大展示しているのは、複製作品化を意図していることになる。加工することで、作品の可能性が拡がっている。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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