【西瓜】(仕事場D・A・N通信vol.44)
一人暮らしになって、ちょっと季節っぽいニュアンスのある出来事が減った気がする。たとえば西瓜を食べること。一玉はとてもではないけど、半分にしても、四分の一にしても、マイカーに乗らない私には、持ち帰りの難儀な、かさばる食品だ。それに食べないからといって困るものではない。
とはいえ、「今年は西瓜を食べなかったなぁ」は一般性のあるつぶやきに思える。「今年は桃を食べなかったなぁ」とか思ったことはない。サイズの存在感、夏!の季節感のせいなのかな。いずれにしても西瓜は一人で食べるものではないような気がする。そんなことを思っていると、西瓜を食べなかった夏が終わりかけた。
そこでイメージにこだわらず、カットされてパックに入った西瓜を、夏の終りに買ってみた。西瓜と言えば目に浮かぶ、かぶりつく情景。あの形があってこそでしょうと言われると全くそう思う。
最初の一口から、だんだん皮の近くへ。食べる前に、味覚が予定している甘みのグラデーション。だから一口目で、そんなに甘くない時の、今後の行程への落胆。
そういう意味では、甘いところも皮に近いところも、食べてみないと分からないサイコロ状のカット西瓜はずいぶん異なる。パック入り西瓜を食べて初めて、西瓜に向かう一連の意識と行動の存在に気付いた。リンゴやなし、桃には存在しないイメージだ。
で、カット西瓜だが、これはこれで西瓜なのだ、悪くはない。一口ごとに、さぁこれは甘い中央部分のカットかな? それとも皮に近い部分かな? 色味からすると甘そうだが、とか考えながら食べた。それは明らかに一口目からだんだん変わっていく食味とは別のものだったが、けっして、食べない方がまし、なんてものでもなかった。
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