【え】エイリアン(私的埋蔵文化財)
「エイリアン」の事を思うと、いろいろ想起されてくる。主に映画業界にまつわることで、興味のない方にはさっぱりな話になるだろうが。
公開された1979年、世間はこの映画を求めてはいなかった。監督リドリー・スコットは日本初公開作品だったし、SF映画は大人の観るものではない空気もまだあった。SFは小説ジャンルの中でも一ランク下の扱いだった。1977年には「スターウォーズ」が公開され、それなりにSFも話題にはなっていたが、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグだって、まだ新しい世代の監督という位置づけだった。
そんな時に、当時日本未公開だった一本目の「デュエリスト/決闘者」でカンヌ映画祭の新人監督賞をとったばかりのイギリス人監督のSF映画がヒットしたわけがない。知られるようになるのは、レンタルビデオで話題になってからだと思う。
では当時、私はなぜ観ることになったのかだが、そこの記憶がない。空席の多い大劇場で、気持ち悪く怖い寒さを感じた。何だこれは!と思わせる映画美術のH・R・ギーガーという造形作家を初めて知った。
映し出される新生物や惑星の遺跡のような空間造形に、イマジネーションとはこういう事だ!と見せつけられた気がした。それまでのSFプラスティック感など全くない、湿っぽい重鉄鋼宇宙船内部で起きるエイリアンとの戦いも、ハラハラし通しの怖さにくたびれた。
シリーズ化されたとはいうものの、「エイリアン2」が制作されたのは7年後、監督はジェイムス・キャメロン。「ターミネーター」をヒットさせ、後には「タイタニック」を作る監督である。
一方、リドリー・スコット監督はこの作品の後、「ブレード・ランナー」「テルマ&ルーズ」「グラディエーター」とヒット作を、今日に至るまで量産することになる。近年、歳のせいか力が落ちてきた気はするが、大好きな監督である。
弟のトニー・スコットも監督でトム・クルーズの「トップガン」を作った。兄よりも更にスピード感のある映像作家だったが、2012年、ロサンゼルスの橋から投身自殺した。
過ぎてゆく時間はいろんな事を巻き起こし、私達に引き受けさせる。何を自分が背負わなければならないのかなど、誰も知らずに生きてゆくのだなぁと思ったりした。
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