【か】影武者(私的埋蔵文化財)
1980年4月27日、阪急プラザ劇場で観たとメモがある。それで思い出した。「影武者」製作については、撮影に入ってから主演の勝新太郎と黒澤明監督がぶつかって、勝新降板に至ったのが世間を大きく騒がせた。そんな話題もあって、映画公開におかしなワクワクがあった。
それを大阪梅田・阪急プラザ劇場で観たのだが、阪急電車梅田駅の下にあったこの巨大映画館は、電車の振動が聞こえるのだった。合戦の馬が疾走している画面に、ゴトンゴトンの音は、聞こえないふりはできなかった。D-150とか70ミリ上映ドルビーステレオ対応劇場とか言っていたようだが、いちばんは高架下重低音サウンドだった。そのせいかどうかは知らないが、15年程で閉館になってしまった。
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「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」など本当に面白い映画を見せてくれた黒澤監督だが、だんだん映画を撮る機会を奪われていく。そして1971年には自宅で自殺未遂騒動を引き起こすに至る。著名な割に興行収入が伸びなくなっていたのが理由だったと思うが、1970年頃には10年で二本ぐらいしか撮っていない。ハリウッド製作の「トラ トラ トラ」も降板になってしまっていた。
アメリカの若手監督が持ち上げ、世間も黒澤天皇などと囃して巨匠ぶりが目立ったが、「影武者」は私にはそう面白い映画ではなかった。東宝はじめ日本の映画制作会社は金を出さず、海外資本の支えでやっと映画が撮れていたようだった。
三船敏郎、仲代達也、山崎努など、そうそうたる俳優が黒澤作品に名を連ね、役者たちもキャスティングされるとひれ伏すような空気があった。業界ではそうなのだろうが、観客としては1970年代以降の作品は、一応見ているといった気分がぬぐえなかった。「乱」「影武者」「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」をベストワンにあげる映画ファンに会ったことがない。映画など観に行かない世間が、業界面白話で黒澤監督を祭り上げておもちゃにしている気がしてならなかった。
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