【く】クレイマー、クレイマー(私的埋蔵文化財)

 1980年4月26日、私は33歳。児童相談所の心理職(地方公務員)として働き、結婚をして男の子が二人いる親になっていた。そんな時期に見た「クレイマー、クレイマー」にあまりピンと来ていなかった記憶がある。

 42年前の日本社会。ここに登場するようなキャリアを大切に思って、夫と子どもから離れる女性なんて想像がつかなかった。幼子と父子世帯で残される自分なんて、ありえない設定だと思った。

 長い時が経った今、家族相談を数多く経験してきて、あのような思い込みは時代の家族観に過ぎなかったのだなぁと思う。ということは現在の私たちの家族観も、2022年のものに過ぎないということになるだろう。

 基本的に家族はどのようであってもいいのだと思う。LGBTQが言われる現在、夫婦、家族が性別で規定されている必要もないと思う。むしろ契約した意思を簡単に翻さず努力することの価値を思う。

 近年気になっているのは、家族の名の下で暮らす男女の紐帯の弱さのことだ。当然、自由意思であっていいことではあるが、その時々の感情で移ろいやすいものと同義になっているのに違和感がある。

 私は「家族」と名付けるものは、底流に永続性を担保されているものだと思っている。それを踏まえた上で、結婚も離婚も選択意思が尊重されるものだ。理由は子どもが当然だと信じているものを、安易に相対化してしまってはならないと思うからだ。

 絶対の存在など、なかなか世の中にないことは大人になるにしたがって様々な経験で学習する。だから自明のようにお父さん、お母さんは不変だと思い込むのは幼子の特権だ。それはできれば守ってやりたい。サンタクロースが本当にいるかどうかの真偽より、ずっと深く子どもの心に刻まれる感覚だと思うのだ。

 無論これは私の個人的信念であって、家族はそうでなければならないと言うのとは違う。その上で、どんな家族観、パートナー観で人生を過ごすか、一度は考えておいていいことだと思う。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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