【ス】スタンド・バイ・ミー(私的埋蔵文化財)

「スター・ウォーズ」を抜いて選んだ「ス」は「スタンド・バイ・ミー」。少年期の冒険譚は数多くの文学でも扱われてきたテーマだ。そしてそれは、かつて男の子であった者達誰もが、懐かしい記憶としていつまでも抱えている。

 私は中一の夏まで滋賀県大津市で育った。裏は三井寺山、前は琵琶湖という自然に溢れた場所で、13歳まで過ごしていたのだから、少年時代の山ほどある思い出は、ほぼあの自然の中にある。

 この映画の少年達は死体を探しに行ったりするのだが、僕達も夏の琵琶湖で溺れ死んだ人を、仮に置いてある「シンバカ(新墓?)」と呼んでいたところに、きもだめしに時々出かけた。少し年上の子達と一緒のことが多かったが、本当に怖かった。誰かが「ギャー!」というと、死にものぐるいで三井寺山から駆け下りた。「石炭箱に手が見えた!」とか上級生が話すのを、ドキドキしながら聞いていた。

 その頃、少し離れた町内のガキ大将との抗争があって、町中や学校であちら方と出くわすのを避けていた。なのにある日の夕刻、相手方のボスと米軍キャンプ・フェンス横の通りで鉢合わせした。小学生の私は喧嘩に自信など全くなく、ビビってすくんでしまった。

 ところが相手は私に「おまえ士郎やろ?」と聞いたのだ。とっさに私は、「違う、僕は省二や!」と町内の同級生の名を叫んだ。二歳上の中学生は、私をはっきりと識別できていないのだと思った。「僕は省二や!」と連呼していたら、「ほんまか」と逃がしてくれた。

 この前の殴り込みで僕は、こいつを棒で叩いていた。向こう側の同級生が、「叩きよったんは士郎や!」と告げていたに違いない。今思うと、まったく何をしていたんだかである。

***

 主演のリバー・フェニックスはアメリカの田舎の少年、ドンピシャだった。人気者になった彼は、後日、薬物で急死するのだが、そんな運命も含めて映画世界の持つ怖さというか、手の届かないところ感に溢れていた。日本とアメリカはだいぶ違うなぁと思っていられたよき時代だった。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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