【ソ】ソフィーの選択(私的埋蔵文化財)

 「そして船は行く」。名匠F.フェリーニ監督作品だが、パンフレットを読んでも、観たこと以外は何も思い出せない。

 そんなわけで「ソフィーの選択」である。米国のベストセラー小説の映画化だったそうだが、本のことは記憶にない。そもそも「ソフィーの選択」と題される内容だけを覚えていて、それ以外の映画の展開の記憶はないのだ。

 こうなると私は昔、映画の何を観ていたのだろうと不安になる。もっとも身近なところに、学生時代に一緒に観た映画館のことはよく覚えているのに、作品タイトルは一本も思い出せない人がいて、「それじゃ、映画の話なんかできないじゃないか!」と呆れたことがあった。彼よりはましだが近年、配信や、BDでたくさん見られるようになって、見た尻から忘れてしまうようになった。老化なのか近年の風潮なのか、たぶん両方だろうが、一本一本が大切な映画記憶の時代ではなくなってきているのかもしれない。

 「ソフィーの選択」はアウシュヴィッツ収容所から生還したポーランド人女性の隠された悲劇の物語記憶。強制収容所では膨大な数のユダヤ人が殺されたが、それは数の話ではなく、一人一人にそれまでの人生があり、思い出があり、未来があったという話なのだ。あの場所から後、刻まれることがなかったたくさんの人生。

 2018年9月、そういう場としてのアウシュヴィッツ強制収容所(ポーランド・クラクフ郊外)とラーフェンスブリュック女性強制収容所(ドイツ・ベルリン郊外)を訪れた。初めて行ったにもかかわらず既視感が強かったのは、驚くほどたくさんの映画が「ナチス」「ヒトラー」関連で製作されていて、それを観ていたからだ。

 訪れる人は多くいるのだが、その場が孕んだ静けさは、映画で描かれる苦悩、悲劇のドラマの厳しさとは対照的だった。1940年代、あちこちの収容所で誰にも知られることなく粛々と殺されていった人たちを思うと、その無念が一番の悲劇ではなかったかと思う。

 今、ウクライナ国民が受けている被害は世界中が見て、声を上げている。誰かの身の上に起きていることに無関心であってはならない。同時に、あっという間に消費されてしまうような時事情報にしてもいけない。自分の言葉で関心を持って見つめることが、当事者ではない巡りあわせの者の役目なのだと思う。間違いなく歴史は繰り返されている。無知を背景に驚いたり、怒っているだけでは、過去にもたくさんいた一時の傍観者になるだけだ。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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