【ヌ】ヌーベルヴァーグ?(私的埋蔵文化財)

「ぬ」から始まるタイトルの映画もパンフレットもなかった。そこで「ヌーベルヴァーグ・新しい波」、フランス映画の新しい潮流のことから。

 この言葉は1960年代頃よく目にしたが、実際のところ、私はそれほど解っているわけではない。ハリウッド大作映画をちょっとコケにしたような空気のあるフランス映画。日本でも、和製ヌーベルヴァーグなんて言い方で、大島渚らの時代の映画監督達を、上世代の巨匠たちと分けて呼んだ時期があった。

 そんな中で私が好んで見ていたのは、フランソワ・トリュフォー監督作品。「アメリカの夜」「華氏451」「オトナは判ってくれない」「終電車」「夜霧の恋人たち」「日曜日が待ち遠しい」「恋愛日記」「隣の女」「アデルの恋の物語」「逃げ去る恋」「恋のエチュード」「黒衣の花嫁」「暗くなるまでこの恋を」「二十歳の恋」などを観たし、持っているDVDも多い。

 つい最近も「隣の女」を久しぶりに再見して、やっぱり面白くて上手だなぁと思った。そして初見の時には理解できていなかった脇役の女性の心の機微にも触れた。

 トリュフォーは女性を描くことに執着していた。でもそれは女心をよくわかっていたとかいうより、女性が好きで、特にフォルムに執着していたのではないかと思う。

 近年ルッキズムという言葉が流布するようになった。「見た目」にこだわる世相と、見た目差別の両方が時代の中でもつれている。「人を見た目で判断するものではない」というのが正論として闊歩するのは、「人は見た目が9割」なんて新書が売れる気分に、多くの人が共感しているからだろう。

 プチ整形なんて、わざわざ言わなくていい造語で何かを希釈したがっている。プチ手術とかプチ治療なんて言わないのに。「美魔女」などと若者だけではない見た目執着が中年層にも蔓延してゆくところにもよく現れたルッキズム。

 トリュフォーのそれは女性へのあこがれとして、「恋愛日記」の中で、延々と女性の足や顔を撮る。今なら問題だと指摘されそうだが、自分の嗜好としてそれを描く。

 その映画を多くの人々が観るということは、そこに同意が成立している。私もその一人ということになるのだろうが、眼は人格とは別の欲望で世界を求めているところがある。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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