【ヘ】北京の55日(私的埋蔵文化財)

 大阪・梅田新道交差点にあった大劇場・東映パラスでこれを観たのは、昭和38(1963)年10月29日とパンフレットのメモにある。高校二年生の秋、中間テストが終わったところだったろうか。このバカでかい劇場で観た映画のことはいくつか記憶にあって、同じビルの5階に東映ホールという小劇場もあり、そちらでもいくつか観た。おそらく50年から60年近くも前のことだ。

 「北京の55日」はチャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー主演の義和団の乱が題材の大作だが、脇を固めるデイビッド・ニーベンの表記には驚いた。デビッド・ニーブンのことだが、いつから今のようになったのかな?

 そして伊丹一三。当時、日本ではあまり知られていないと言ってもいい俳優だった。この後、ピーター・オトゥール主演の大作「ロード・ジム」に重要な役で出演。これ以降、伊丹一三は日本でもTVで見るようになり、源氏物語の主役もつとめた。

 ヨーロッパ滞在期間の体験をもとに書いた「ヨーロッパ退屈日記」で希な文才も発揮した。当時、定期購読していた月刊「話の特集」で連載が始まったので、毎月読むようになって面白さに驚いた。そのセンスでTV番組「遠くへ行きたい」をとても興味深い旅番組にも仕立てた。そして「ものぐさ精神分析」で著名だった心理学者・岸田秀を担ぎ出して雑誌「モノンクル」を創刊。心理学ブームの一翼も担ったりした。

 いつの頃からか伊丹一三は伊丹十三と名乗るようになった。日本映画の名監督で父親である伊丹万作にちなんで、百三、千三、万三と近づけていくのだと、何かに書いてあった気がする。彼の息子の一人はたしか万作だ。

 そして監督第一作「お葬式」で、数々の受賞をする。その後は話題作を次々発表し、妻の女優・宮本信子と二人三脚の活躍をした。

 暴力団を扱った映画「ミンボーの女」へのいざこざで、組関係と思われる四人組から襲撃され、負傷した。そして最後は女性問題のトラブルで、ビルから飛び降り自殺したというニュースを知らされるのだが、私にはまったく腑に落ちない話だった。

 四国・松山に「伊丹十三記念館」があり、氏の業績のすべてが回廊式のしゃれた建物に網羅、展示されている。私は二度訪れたが、その二度目に、記念館内カフェでお茶していたら、スタッフに話しかけられた。そして、HPに来館の感想を書いて欲しいと言われ、しばらく掲載されていたりした。


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