【ミ】ミッドナイト・エクスプレス&ミシシピー・バーニングマイ フェア レディ(私的埋蔵文化財)

 この二本の監督がアラン・パーカーであることに気づいていなかった。タイトルとしては「ミッドナイト・エクスプレス」ばかりが印象にあった。しかし、映画として記憶に残っているのは「ミシシッピー・バーニング」の方だ。

 「ミシシッピ-・バーニング」が京都スカラ座で近日上映されると、映画の看板が河原町三条交差点の信号待ちから見える頭上にあったのを覚えている。黒人差別を繰り返すK.K.K.(クー・クラックス・クラン)や同根の差別意識丸出しの保安官など、アメリカ南部のお決まりの世情。繰り返されるリンチや襲撃は、全身白装束姿のK.K.K.の手に持った松明の炎にあおられて不安を増幅した。

 K.K.K.との初遭遇は大津・大黒座で観た「連邦警察」(1959)。親父に連れて行かれた字幕洋画の白覆面のリンチ集団がすごく怖かった。あの頃、よく解らないのに洋画をたくさん観せられていた。本当は「紅孔雀」とか「赤胴鈴之助」などの邦画が観たかったのだが、そんなことを言ったら連れて行ってもらえなくなると思っていた。

 「ミッドナイト・エクスプレス」とは脱獄のことを指しているが、映画は大麻不法所持でトルコに拘束されたアメリカ人青年の脱出までの物語。そして、「深夜特急」は当時の若者が皆、この文庫を手に旅に出たほどのブームをおこした沢木耕太郎さんの著作である。

 私もこの本は単行本刊行すぐに読み、文庫になったものを購入して読み、kindleで読めるようになってまた読んだ。旅する心はいつも筆者と共に、あの時代に戻ってしまう感覚になるのだ。

 その沢木耕太郎さんと初めて食事をすることになったのは、桂南光さんの手配で、宝塚での氏の講演会の後だった。めったに引き受けない講演を受けたのは、同行していた奥さんが宝塚ファンだからだと聞いた。

 その後、何度もご一緒することがあった。いちどは恵比寿(東京)の書店で待ち合わせて、ゆっくり二人で食事した。嵯峨野の寂聴さんのところに来た足で、連絡をもらって京都でも食事しながらだべったことがあった。

 当時、氏のところにも送っていたD・A・N通信を毎回読んでくれていたお嬢さんが、「団さんと話したい!」と言っていると伝えられた。そして大阪の仕事に娘を同行してきて京都駅で降ろし、その後、夜に私が彼女を送って大阪で合流して食事なんてこともあった。

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 海外旅行がブームになった頃よく言われていたのが、人の荷物を預かったりするなということ。確かにそういう巻き込まれ型の災難は、私も初めての海外旅行の新潟空港帰国時に経験した。

 持ち込み量制限のある外国たばこ2カートンを預かってくれないかと言われて、気軽に引き受けて、入国後、空港ロビーで手渡そうとしたときにトラブった。大事には至らずに済んだが、言葉の通じない国の空港だったりしたら、えらいことだったかもしれないと、後になってゾッとした。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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