【ム】無人の野(私的埋蔵文化財)
忘れられないシーンがあるベトナム映画。ベトナム戦争の渦中、ゲリラ掃討作戦により、無人化された深い水田地帯。動くもの、残っているものはゲリラとみなして、低空飛行する米軍ヘリから機銃掃射の対象になる。そんな場所でコメを作り、子を育てる若い夫婦。解放戦線の兵士でもある。
定期的に監視にやってきて水田地帯をヘリが旋回する。爆風に稲があおられ、水面が揺れる。その根元に彼らは息を潜めている。
黒いビニール袋に空気を入れて、そこに赤ん坊を入れ、親とともに水中にもぐる。そうして捜索ヘリが立ち去るのを待つ。長くかかると子どもは窒息してしまう。しかし発見されれば、親子ともども銃撃されてしまう。緊迫の数分間。ヘリが去ると急いで袋から出した子の息を確かめる。大声で泣き叫ぶ赤ん坊を、あやしながら生き延びられたことを喜ぶ。
これが戦いながら、暮らし、米を作る生活なのだ。あんなに息苦しいシーンを、それまで観たことがなかった。画面を見ながら我知らず息を止めていた。
それまでもたくさん観てきたパルチザンや抵抗勢力の戦い物語は、どれも戦意の高揚した勇ましいものが多かった。ところがこの映画はずっと田園生活の物語なのである。
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ベトナム社会主義共和国。一度訪れたことがあって、郊外に残るゲリラ戦闘の遺産、地下トンネルに入ってみるツアーに参加した。トンネルから顔を出して、写真も撮ったが、なんだか変な感じが消えなかった。過ぎてしまった過去の戦争を観光の種に出来るのは、ベトナムが勝利したからだろうと思った。
ベトナム戦争の映画と言えば、「プラトーン」、「地獄の黙示録」、「ランボー」、「帰郷」、「ディア・ハンター」etc.たくさん思い出せる。その後も、湾岸戦争、アフガン戦争、と様々な戦争映画を見てきた。第二次世界大戦のナチスが題材になった映画は数え上げたらきりがない。どれもこれも、描いている側の戦時下における高揚感の記憶につながっている。まさにドラマの種なのだ。これだけたくさんの映画が作られてきたことを思うと、戦争は人類にとって、なくすことのできない一大記憶生成装置ということなのだろうか。
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