【モ】目撃者―刑事ジョン・ブック―(私的埋蔵文化財)
やっぱりハリソン・フォードのファンである。はじまりは映画「アメリカン・グラフィティ」。しかしあの中のハリソン・フォードはまだ目につかない。個性的な出演者は他にたくさんいた。作品はジュークボックス映画と呼ばれるように、60年代のヒットポップスがずっと流れているものだった。アメリカの十代、青春まっただ中の若者たちが過ごす地方都市の週末。みんな車を乗り回している、当時の日本人には考えられない世界だった。
ハリソン・フォードは何かの作品で、爆発的人気者になったのではないと思う。無論「スター・ウォーズ」シリーズで知られるようになったのではあるが。私にとっては、様々な映画出演を重ねて、年齢に合わせて大好きな俳優になっていった感じだ。
それより「目撃者」で印象に残ったのはアーミッシュ。それまで聞いたこともなかった人達のことだ。日本で暮らしていると、信仰について考えることなどあまりない。最近、旧統一教会のことが大きな話題になっているが、私の学生時代にはキャンパスに統一教会の立看板は溢れていた。知人女性のサークル合宿に誘われていってみると、「薬はすべて毒だ!」と熱弁する何かの宗教の集会だったりした。私は基本的に誰かの言っていることを鵜呑みにできない性分なので、好奇心からのぞいてみるが、結局どれにも深くコミットすることがなかった。
同じことは学生運動にも言えた。身近に活動家もいたが、誘われることもなく、漫画家スタンスで、反戦デモなども見物しながら歩道を歩いていた。
登場するアーミッシュの人達は、現代文明を拒否して昔ながらの暮らしを営んでいる。そんな人達がアメリカの一部にコミュニティを作っていて、そこは一般社会とは隔絶されたゾーンなのだ。アメリカにはこういう集団が成立しやすいのだなぁと思い知らされる事件をこれまでいくつも耳にしてきた。
日本社会は同調圧力などと言って、みんな同じであることに強くこだわる社会だ。アメリカは正反対の、みんな異なるを強く押し出した社会だ。だから違いを認め合っているから、どう考えても過剰だとしか思えない主張も、形式として相互容認的だ。進化論を否定し、21世紀になって中絶禁止を新たに決めたりするのは教義的信念だし、個人は自分を護る為に武装する権利を有するなんて信念の背景に、己の信ずることは誰からも干渉されないと確信する市民意識があるだろう。
「意見じゃなくて事実だろう!」と反論してしまいたくなるような信念の容認。それがアメリカのように私には見える。
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