【ヤ】約束の土地(私的埋蔵文化財)

 アンジェ・ワイダ監督、1975年モスクワ国際映画祭金賞受賞作品。と、パンフレットを読んでみても、映画の内容はさっぱり思い出せない。でも監督の名は私の世代なら誰もが耳にしたことがある。

 「灰とダイアモンド」はポーランド映画で一番有名な作品ではないだろうか。学生運動が盛んだった時代、大学のキャンパスにはこの映画や「地下水道」の上映情報があちこちで見られた。そんな中、どこかで観たのだったと思うがあまり理解していたとは言えない。

 このコラム連載を続けていて時々思うことだが、私はあまり物事をきちんと理解していないようだ。何となくは分かっているのだが、確かに分かった感が何かにつけて希薄だ。たいていのことを、大体分かったところで了解してしまう。根拠を明確に理解することを避けているのかとさえ思う。多分、感覚(主観)で腑に落ちたように分かりたいと思っていて、客観的証拠など欲しがっていないのだ。

 こういうポジションから世界を眺めていると、この世はあっちもこっちも、物知りががいっぱいだ。年齢など関係ない、年下にもたくさん凄い人がいると思って生きてきた。その上で、でもその方法で作り出せる限界が今の世の中だからねと考えているらしいのだ。

 ポーランドには行ったことがある。しかし旅行中、一度もアンジェ・ワイダ監督の国だ!と思い出したことがなかった。アウシュヴィッツやクラクフを訪れていたのだから、思い出してもよさそうなものだが、なかった。後年の監督作「カティンの森」は、ドイツ、ソ連の両方から侵略されたポーランドで起きた、大虐殺事件を描いていたのにだ。

 あのような事件は、ひとたび戦争になればあらゆるところで起こる。ウクライナ侵攻で報道される非人道的な攻撃はロシアの専売特許ではない。過去のあらゆる戦場でもあったことである。それは歴史的事実などといったものではなく、戦争における人間の行為として必然なのだろう。敵はやったが、我々はやっていないと語るのは、そう思いたい各自国民の欺瞞。偽旗作戦とか事実の隠蔽など、敵味方入り乱れてどこでも起きている。謀略は世の常で、それで欺かれて滅びる者の方が正直者だなどとも言えない。

 そう承知しているから、我が国はそんなことはしない!と思いたい気持ちを胸に、勝利のお題目の前ではあらゆることを容認する。

 そんなことから目をそらし、むき出しの争いから逃れたところで、口だけ出すのが昨今の日本的風潮である。

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