【葬儀】(仕事場D・A・N通信vol.2)

 この写真を見て、何か気づくことがあるだろうか?実はお花に名札がない。お願いして、そのようにして貰った。

 ある時期から、葬儀で香典辞退が多くなった。家族で密葬を済ませ、後日報告する形式も定着した。家族葬という名の、少人数で安価な葬儀のセールスが目立ち始めた。直葬という、病院から火葬場に直ぐという人が増えたとも聞く。

 ここには儀式を面倒くさがる空気がつきまとっている。一般論として分らなくはない。しかし葬儀のそれは、私の気持ちには馴染まなかった。

 大勢の人に来て貰おうとは思わなかったが、お知らせするのも後でと言うやり方はしないことにした。そして、近しく思って下さった人達に、お花を下さいと負担なお願いもした。ただし喪主の意向で、お名前は出しませんがと伝えて。

 これまで、公務員時代も含めて、たくさんお葬式に出た。役割上のこともあったし、思いを込めてのこともあった。会場でしばしば見かけたのが、久々に会った人との会話に夢中の人。名札に書かれた企業や議員、肩書きの人物談義に盛り上がっている人達だった。亡くなった人を偲んで来ているのではなかった。それなら来なければ良いのにと思った。

 葬式の見直しを、お安く、お得にの風潮で考えたのではない。そんな視点から妻の告別式を語りたくなかったので、細部にこだわろうと思った。

 とはいっても、初めからそう思っていたなんてことはない。人が亡くなると残された者達は、二三日後の慣れないイベントに向かって、専門家に翻弄されてゆく。ドライアイスの量や火葬場の予約順序など、考えたこともないことばかりだ。だからといって、お任せなんて、気まぐれシェフのサラダみたいなことはしたくなかった。

 来て下さった方達には故人の事を偲んでいて欲しかった。そこに文字が溢れていれば、人の目はそれを追ってしまう。だったら文字を除けば良い。その結果、写真のような祭壇になった。

士郎さん.com

家族心理臨床家で漫画家でもある団士郎さんに関する情報をまとめたオフィシャルページ。本ページは、本人の了承を得てアソブロック株式会社が運営しています。

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